2006年01月14日

続イースタービレッジ回想



イースタービレッジで現在ボランティアをしているハルさんのことについてちょっとお話をしたいと思います。僕は彼女のブログを見ていつも思うことがあるのですが、彼女はとても感受性が豊かだなと思います。男と女という違いはあるのかも知れないけど、彼女は僕が気づかなかったことまで気づいて、それについてとても深く考えてる。僕みたいにその日起こったことをだらだらと書いてるblogとは違うと思います。イースタービレッジのことに関してのBLOGだからってわけではないと思うけど、子供たちをただ甘やかすだけではなく、彼ら、彼女らの為になるように一生懸命考えて行動している、そして心の底から彼らを愛しているという気持ちが伝わってくるのです。

そんな中、彼女のBlogに僕の記事を見つけました。
『たっちゃんは子供たちにとって距離の近い、友達のような、仲のいいお兄さんな存在である』
『子供にとってもたっちゃんの存在というのはとっても大きくて。
来る前からとっても楽しみにしていました』
これって本当に最高に嬉しい言葉だと思います。本当は子供たちとメールのやり取りもしたいけど、いかんせん向こうではまだまだPCは高級品。値段は日本と同じくらいしますので、物価の違いを考えたら普通は手が出せません。もちろん、イースタービレッジオフィスにはPCはあるけども、やっぱり経理やら重要書類やらで触るのは禁止。神父さんはそのうち子供たちにもメールとかをやらせたいと思っているようですが、早くその日が来るといいなぁと思います。

そして、もう一つ。僕が夜何気なく言っていた一言。
『あんまりにも子供と仲良くなりすぎたり、好きになりすぎるとお別れが辛くなるから、いやだよね』
これについて、ハルさんは「例えどんなに辛くなっても、子供たちがいないと今生きられない、生きている意味がないくらい愛したい」と書いてます。
変な言い方になるんですが、これは向こうで一緒に生活しているハルさんだからこそ言葉であって、僕にはそこまで言えない、というより言う資格がないように思えます。別にハルさんを批難しているとかそういうわけではなくて、ただ純粋に羨ましいの一言。そこまでのめりこめる、そこまでイースタービレッジと一体化できる、その生活に。日本に帰ってきて気づいたことは、僕には日本の生活があって、そこで暮らすことが今の現状。別に不自由しているわけではないですし、日本っていう国も別にキライじゃない。そして全てを捨ててまで向こうでの生活を選ぶことのできない状況。もっとゆとりができたら出来るのかもしれませんけれども、全てをかなぐり捨ててまで行くことは出来ないのです。

ただ、間違って解釈して欲しくないのですが、僕は子供たちと決して距離を置いて付き合いたいわけではないのです。確かにお別れは辛い。でも子供たちと仲良くなれないことはもっと辛い。そして、僕が言いたかったのは、僕がサヨナラをしなければいけないその日が必ずきてしまうこと、そしてそれが一番辛いこと。実際、最後の夜は子供たちと遊びながらもひどく感傷的になっていた自分がいました。明日の朝になれば僕はここを出なくちゃいけない、そして次はいつになるのだろうと。でも子供たちもそうだったのかもしれないな。明日起きたら僕がいなくて寂しいなと思ってくれてたら、僕はそれだけでイースタービレッジにきた意味があると思います。

でもまた必ず会えるから。その日をお互い楽しみにまっていようね!

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